自分の内側

 最近、表現すること、とりわけ言葉を使って表現するということについてよく考える。日頃音とばかり向き合っているから言葉を通しての表現に関してはさほどつめて考えることはないのだけれど、そうはいっても思考の裏には必ず言葉があり、考える行為を止めない限り言葉との関係は切れないわけで、、。
 一昨日、NHKで演出家の宮本亜門が母校である小学校を訪れて課外授業をやるという番組をみた。
 はじめは赤ずきんちゃんの寓話をテーマに、子供達に自由にその登場人物たちのキャラクターやそれぞれの立場を設定させた上で、おばあさんが狼に食べられてしまう”事件”が起きる前日を想像させるということを試みていた。子供達は思い思いに想像は巡らしていたものの、どこか、彼がこの授業を通してさせたかった『固定概念を払拭する』ということと、『相手の気持ちを想像する』ということというレベルではどうもうまく引き出せていない感じがあった。
 おそらくそれは彼自身も感じていたのだろう。次の日の授業で今度は彼自身が沖縄でヤギを自らの手で殺した経験の話をし始めた。この彼の表現には物凄くリアリティーがあった。その克明に表現された彼の感情の動きや、彼の腕の中でどんどん冷たくなっていくヤギの状態に、この話をじっと聞いていた子供達の心の中で確実に何かが反応していたと思う。
 その後、今度は戦場で母を失ったマリアという女の子の詩を朗読し、その詩の中に出て来る人物の誰かに焦点をあてて、その人物の心の動きを想像した作文を書かせたのだが、子供達は無意識に、自分の内側と向き合って、さらに自分の感情を丁寧汲み取って行くという作業をし始めていた。本当にすばらしい文章がたくさんあった。
 自分の内側にある感情や思考を克明に表現することは本来なら誰でもできることなんだと思う。けれど、その作業はエネルギーのいることだし、時には非常にしんどいことでもあると思う。ひどい場合はそれを見ないようにしてしまう事すらあると思う。ただ、その行為がまたフィードバックされて自分の感情や思考を日々作り直していっていることを考えると、それをおろそかにすることのほうがよっぽど恐い気がする、、、。
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by mjuc | 2005-05-15 17:16